H.Yさん

- 心を尽くして清めた場所に、人工的で安易な装飾は要らないんだなと実感し、私にとっては新しく意義深い気づきとなりました。
テンプルステイで学んだことを日常の中で実践していく日々は、小さいながら新鮮で心に響く気づきの連続です。
わかりやすい例では、トイレ掃除です。テンプルステイでトイレ掃除のやり方を教えていただき、自宅でも引き続き実践しています。トイレ掃除を始めて数日後に、そういえば、と、掃除の後にトイレタンク用の芳香剤を設置しました。トイレ環境がより良くなるかと思ってのことでしたが、雑巾で拭き上げて清潔になったトイレには、芳香剤の香りはきついばかりで、無意味どころか邪魔に感じました。心を尽くして清めた場所に、人工的で安易な装飾は要らないんだなと実感し、私にとっては新しく意義深い気づきとなりました。
私にとって何よりも大きかった変化は、感情を取り戻せたように感じていることです。これまで生きてきた中で、嬉しいことや幸せに感じることはもちろんありましたが、同時に、悲しいこと、理不尽なこと、自分ではどうしようもないことなどもたくさんありました。そんな中、自分なりに責任ある大人としての在り方を模索し、どんなことにも冷静にかつ執着せず、適切な対応をしたいと心がけていくうちに、いつのまにか、物事や出来事をありのまま受け止めて素直に自分の感情を表す、ということができなくなっていました。自分の正直な気持ちには無意識に蓋をして、どんなことに対しても、まずはこの状況をどう捉えるべきか、適切な判断は?などとばかり頭で考えていました。自分が年々無感動になっているのは薄々感じていて、危機感もあったのですが、それが大人になるということだとどこか諦めていました。
テンプルステイでの経験の中で、どれが私に感情を取り戻させてくれるきっかけになったのか、明確なポイントは記憶していませんが、僧侶の皆様の繊細な心配りや美しい所作、日々のたゆまぬ努力の結果の言動、参加者の皆様の懸命な姿勢、大愚和尚の温かく学びの多いお言葉や眼差し、ところどころに感じられるお互いへの思いやり、などなどの事柄が相乗的に私の心の凝った部分を溶かしてくれ、再び自分の純粋さに向き合う強さを得ることができたのではと感じています。これまでの自分は、物事を正面から受け止めるのが怖い気持ちが強くありました。それゆえに、『冷静に受け止める』ことと『感じないようにする』ことを混同し、心にバリアを作って、周囲の事象を受け流すように自分で自分を仕向けていたのかなと思います。テンプルステイでの目の前のことに集中する日々は、心と体と頭で一緒に自分なりの最適解を見つけていくことを思い出させてくれました。
人の気持ちも、起こる事象も、想定などできず、未知のものばかりで、いまでも公私ともに怖い気持ちはあります。ですが、気づきを得た今、怖いと感じている自分に目を背けるのではなく、そんな自分もしっかり受け止めて、真摯に生きていきたいと強く思っています。
福厳寺で出会った情景や言葉を思い出しながら日常生活を送っていますと、仕事でもプライベートでも、明らかに以前より気持ちが明るく、また、色んな人や出来事を愛しく思うようになりました。そのせいか、昨年末にかけて、これまで想像もしなかったような人との出会いが続いて、ありがたい毎日を過ごさせていただいています。
何より思い出に残っているのは、毎食出していただいた心のこもったお食事の数々です。最終日の朝、それまでの朝とは違ってさつま芋の入ったおかゆをいただいた時、そのおかゆが自分の前に出てくるまでに、どれほどの方の思いや気遣い、作業があっただろうと思い、涙が止まりませんでした。本当の『美味しい』を知ったような気がしました。
これまで述べてきた様々な気づき、学びを知らなかった頃の自分にはもう戻れません。これから、その自分を満足させ、さらに成長させていくために、自分を見つめ、気づき、人のため自分のためにできることを考え行動し続けていきたいと思います。