参禅者の声

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福郁妙薫さん

できない自分だから、できるところまで、どうやったら できるのか、体の声を聴きながら実行していくことをこころがけようという気になりました。

すべての作務は、はじまりとおわりは、「どうぞよろしゅう」と「ありがとうございます」
でけじめをつけます。はじめは蚊の鳴くような声でしたが、だんだんと、我ながら、胴間声を張り上げるようになりました。私はこんなに声を出せるの?と自分でも驚きました。
最初は「どうぞよろしゅう」っていうのが、やくざか山賊のようで、とても抵抗がありましたが、いつのまにか「どうぞよろしゅう」と「ありがとうございます」が口ぐせになっていました。慣れというのはおそろしいものだと思いました。

私は、あまりにも、重いものを持てないので、すぐにへたってしまいそうでしたが、それだけにテンプルステイで同じ時をすごしている皆さんに、たよりながらも、自分でできることが何かをいつも考えていた5日間でした。
瞑想の夜課も、お食事の間も、足をくむのですが、それが痛くて、歩けなくなってきてしまい、走らないと次の作務には間に合わないとわかっていても、走れない。。。とてもご修行は無理なので、初日は帰りたくなりました。

テレビもスマホも本も時計もないので、ひたすら自分の体を動かしながら、体で会話しながら、なおかつ教えてくださる福厳寺の僧侶の皆さんのご指導にしたがい、懸命にすごした毎日でした。

それだけに、テンプルステイでご一緒したみなさんのやさしさが身に沁みました。
ご指導にあたられた僧侶のみなさんも、何度も同じことを聞いてもちゃんと答えてくださるので、とても安心しました。自分の悪いところを指摘されても、素直に聞けました。「ありがとう」「すみません」「はい」「どうぞよろしゅう」余分なことを言わずにそれだけでよいです、という教えも本当にそのとおりでした。
若い僧侶の方々は、どなたもみんな性格がちがっていて、それでいて 韋駄天のように山を駆け回り、夜の真っ暗闇でも、懐中電灯をもたずに走るのは同じでした。。

福厳寺の境内は、なにもないのに、なにか濃密なものでいいっぱいつまっていて、飽きるということがありませんでした。ふと顔を上げると、山のほうから風がふいてきて気持ちがよかったり、紅葉の木々と落ち葉が目をなごませたりしました。

帰宅して、何か変化があったかというと、とにかく静寂が心地よく感じるようになりました。自分の中にあったよけいなもの、もしかしたらそれは我というものかもしれませんが、それがそぎ落とされたような感じがして、安心感がひろがりました。
前よりも他人様のお話されることを聞かせていただいている、という意識が強くなってきたような気がします。

普段の体力不足を痛感しましたが、できない自分だから、できるところまで、どうやったら
できるのか、体の声を聴きながら実行していくことをこころがけようという気になりました。

器をあらうときも、道具を使うときも、とにかく整理整頓、掃除、ものを大事に使って、水も無駄なく使うこと、それがテンプルステイで徹底されましたので、家に帰って食器を洗うときも、水道の水を流しっぱなしにすることに抵抗を覚えるようになりました。

今後の生活の中では、一つ一つの行動にけじめをつけて、見えないところに気がまわるような、そんな毎日をすごせたらいいな と思うようになりました。