H.Eさん

- 66才という年齢に加えこの1年半で体力がかなり落ちてしまった状態でテンプルステイについていけるかが心配でした。
私がテンプルステイに参加した理由は自分の悪しき習慣を変えるきっかけにしたいと思ったからです。1年半程前に体を壊し、殆ど寝たきり状態が4、5ケ月続きましたが、治った後もなかなか元の生活の様には戻れませんでした。仕事も以前の様にはできず、家事や庭仕事、自分でしている勉強など全てが中途半端になってしまいました。加齢も原因の一つではありましょうが一番は自分の甘えのせいと分かっていました。ただ66才という年齢に加えこの1年半で体力がかなり落ちてしまった状態でテンプルステイについていけるかが心配でした。
テンプルステイでは朝は4時45分に鐘の音で目覚め、テントの外に出て新鮮な森の空気を吸うと森の木々の息吹を思いっきり感じます。しかしその余韻に浸る間もなく慌ただしく一日がスタートしました。
朝の朝課は、出にくかった自分の声が後半には少しずつ出てくるようになり身体全体が目覚めていくのが感じられました。また英幸さんや内弟子さん達がお経を唱えながらグルグルと堂内を廻る行道を見ている時間はとても好きな時間でした。僧侶の方たちが一斉に低い声で唱える読経は迫力があり美しく、魂に響いてくるような感覚がします。私の実家はカソリックなのですがそのカソリックの荘厳なミサを連想する旋律だなと思いました。朝作務の掃除の時間も体力的にはきつかったですが好きな時間でした。大切な御本尊様が祀られている御本堂をステイ中、毎朝掃除させていただけたことは喜びでした。また重要な仏具である香炉の「灰ならし」をさせていただいて、このような体験は私の普段の生活ではけして体験できないことでしたので本当に幸運だったと思いました。
「作務は気づきの時です。」と一緒に朝作務をした内弟子さんは仰いました。私はずっとほうきの柄を力任せに腕の力だけで掃いていたため、最終日には右手の親指の付け根に大きなマメができてしまいそれが潰れて痛かったです。しかし「朝作務は時間との戦い。ほうきを掃くにも色んなやり方があり、身体が辛くなるやり方もあるが工夫次第で楽にできてむしろ身体がほぐれるやり方もある。」と最初に教えて頂いたことを思い出し、体全体を使ってみると本当に楽にできました。この教訓は人とのコミュニケーションにも通ずると感じました。
30年ぶりの四つ這いになって全身の筋肉を使う雑巾がけ走は、初日は少しの距離しかできませんでしたが、最終日には自分でも驚くほど長い距離を一気にできるようになりました。このことは体力に自信の無かった私にとっては嬉しく「やればできるんだ!」という自信に繋がりました。また食事時は自分の出す音に注意すること、物を大切にすること、周りの人たちに合わせながら食事を終えること等々食事の作法、無駄のない型のもつ美しさを教えていただきました。お辞儀の仕方ひとつとっても最後まできちんと丁寧にすること、10分前集合等普段の私たちの生活でとても大事なことを教えていただきました。
「間違えることを恐れないことが禅の精神である」と以前読んだ本に書いてありましたが、このことを改めて感じたのが最終日を終えた後の茶話会での内弟子さんのお言葉でした。「間違っても良いので自分から行動して欲しかった。間違えたらそれを私たちが正しますので間違うことを恐れないで。」と言われ、自分がいつしか間違わないように行動し、保身にまわっていたことに気づきとても考えさせられました。これからはもっと積極的に行動していこうと思いました。
自分の体はもっと鍛えなければならないし、またもっと労わらなければならないと思いました。テンプルステイではとても多くのことを教えていただきましたが、それに気づき理解することは比較的楽にできても実行に移すことは難しいです。それでもできることから一つ一つ始めていき、習慣化する努力をしようと思います。
また一緒にステイした善友たちと励ましあい協力し合って最終日を終えられた達成感はとても大きく皆で喜び合いました。
内弟子の方たちは私たちに解るように優しく適切に言葉を選んで、また忍耐強く指導をして下さいました。
体力をつけてまたテンプルステイに参りたいと思います。本当にありがとうございました。