M.K さん
- テンプルステイが終わった今、心持ちが別人の様になりました
大愚和尚様、福厳寺の皆様、この度はお忙しい中我々をテンプルステイに受け入れ、ご指導頂き、誠にありがとうございました。
うまく文章にできないので、6日間のテンプルステイを通しての所感を箇条書きにて失礼します。福厳寺の皆様や参禅者の皆様との関わりを通じて、自分がいかに愚かな若輩者かということを改めて痛感する6日間でした。
誰かの行動、言動を見て聞いてすごいなあと感じたり、己の中に起こる雑念や驕った感情に罪悪感を感じたり、周りで起こっていること、それに対する自分自身の変化を常に見つめ、感じておりました。普段ですと暇ができればスマートフォンを見て何かしらのコンテンツを享受し、現実と己を真正面から見つめるということは-ありませんでした。どこか現実に向き合うことを恐れている自分がいて、そこから逃げていました。周りを見つめ、自分を見つめ、良いことも悪いことも感じて素直に感謝をしたり反省をすることはとても心地が良く、静かな癒しでした。「私は愚かな若輩者だ」ということに気がついた時、普段なら言い訳を探したり、過度に落ち込んだりしていたと思います。しかし、このテンプルステイではそれをただ受け入れる器ができました。普段は何でも引きずって落ち込む質でしたが、この期間中は失敗をしても引きずることはなく、冷静に反省をしてぱっと切り替えられる様になりました。内弟子の皆様には多くのことを教えていただき、またその振る舞いを拝見して学ばせていただきました。掃除の仕方、食事の作法、何かをする際の心構え、お経の意味、私の至らぬ点、沢山のご指導、感謝してもしきれません。
その凜とした佇まい、美しく無駄のない所作、伸びた背筋を見ると自分の背筋も伸びましたし、私もこんな人になりたいと感じました。
説法や参禅者の皆様に対する受け答え、ちょっとした発言まで大変勉強になり、心に残りました。参禅者の皆様は老若男女、国籍も価値観も違う多くの方が集まり、初日は正直大変不安な気持ちがありました。しかしそれも初めだけで、お一人お一人から助けていただき、沢山の学びを頂戴し、今では感謝と尊敬の念で一杯です。私のしたことに対してもどんなに小さなことにも「ありがとう」と言ってくださる方が沢山いて、布施と愛語というのはこういうことなのかと実感しました。
初めは受け入れがたかったこと(私は五体投地や、異性のトイレ掃除などが苦手でした)もございましたが、日数が経つにつれて感謝をしながらできる様になりました。朝起きてわざわざ建物を移動して洗面等をするのもお話を伺った際は面倒だなあと感じましたが、朝起きてすぐ、少し白み始めた空と、高く聳える木々を眺めながら静かな山中を歩くというのは非常に贅沢で心地よい時間でした。
荘厳な本堂で皆さんと一緒にお経をお唱えすると、皆さんと自分、空間や音が一つの塊になった様で不思議な感覚でした。
朝課で五体投地をしてお経をお唱えすると今日も1日頑張ろうという気持ちになりましたし、晩課では今日も1日ありがとうございましたという気持ちになりました。食前の五観の偈も同様に、食べ物やそれに関わった方々に対する感謝の念が生まれました。
私は今回お唱えしたお経の意味を殆ど理解できておりません。自宅でも意味を調べながら読経を続け、ただ言葉をなぞるのではなく、いつの日にか本当の意味で「理解」ができるよう、日々精進してまいります。私は非常に極端な性格で、自分に対してどんなに厳しくしても足りないと思っておりました。しかし、やりすぎてもダメ、やらなすぎてもダメという「中道」の教えを伺い、驚くと同時にそうなのか、と安心することができました。
テンプルステイでは頑張るところ、休むところ、緊張と緩みのメリハリがしっかりとあり、実践を通じて中道のコツを学ばせていただきました。テンプルステイが終わった今、心持ちが別人の様になりました。常に人を恐れ、世間様に申し訳ない後ろめたい気持ちを持って生きておりましたが、周りの誰のことも怖く無くなり、ダメな自分も受け入れられる様になりました。これはお寺での生活+道場で大愚様に教えていただいた「心と体は繋がっている」という教えが生きているのだと思います。不安な気持ちが生まれかけても、道場でのイメージトレーニングを実践すると冷静になり、安心できる様になりました。
私は怠惰で意志薄弱な人間なので、怠けたくなる瞬間がこれから沢山訪れると思います。
そんな日も福厳寺の皆様は4時に起きて精一杯お勤めをしていらっしゃること、今回共にテンプルステイに参加した善友の皆様も世界中で頑張っていらっしゃることを思い出し、精一杯生きていきたいと思います。6日間本当にお世話になりました。