夕彩 貴玉さん
- 宝物のような1週間でした
宝物のような1週間でした。多くの事を経験させていただきました。
体は疲労困憊でしたが、人生で初めて見るもの、初めて触れるもの、何もかもが新鮮で面白く、さらにご縁を持つことができた皆さまのお陰で、心は常に前向きで明るくいられたと思います。特にお世話になりました修行僧の成道さん、真龍さん、大勇さん、大禅さんは、信じられないほど美しいです。
言葉遣いや身だしなみ、立ち居振る舞いといった表面の部分だけでなく、僧としての在り方を常に自分に問いながらストイックに努力をされ、誰にも気づかれなくても褒められなくても人を思いやろうとする心のままに動いていらっしゃり、そこまでやるのかと戸惑いすら感じることもありました。一言で表現するなら「徹底」でしょうか。
福厳寺に関わる内外全ての人々のために、心を尽くして行動なさる姿は、ご本人たちが謙遜なさろうと、見事としか言いようがありませんでした。また同期の参禅者の3名にも、感謝してもしきれません。
唯一の男性で、特に力仕事では率先して行動なさり何度も助けてくださったセイジさん、
しっかり者ながら春風のような暖かさで、全ての生き物を心から大切にしているトモエさん、
心身ともに溌剌で、凛として美しく、人を和ませる魔法のような笑顔を持つジュンコさん。この方々のために、自分は何ができただろうかと未だに自問と反省がありますが、今は同じ苦楽を共にできたことをとにかく嬉しく思っています。心から感謝しています。他にも、典座で料理を作られる皆様、工房で黙々と作業なされる方、そして大愚和尚様にもお会いでき、多くの方々と接しましたが、「修行者のために」「福厳寺のために」「あらゆる人々のために」という利他の精神に溢れ、感動と共に、自分がいかに自分の事しか考えていないかを省みる機会にもなりました。
福厳寺の豊かな自然の中だからこそ、見えやすいものもありました。鮮やかな葉と老いた葉、毟られた雑草の死、動物たちの香り、傷ついた虫。生物はいつか死ぬのになぜ生まれるのか?と考えた時期もありましたが、大自然の中では、自分は特別な存在でもなんでもありませんでした。
酸素や水を自然からいただき、支えてくださる人々の存在があるのだから、自分もまた同じように、生きている間に小さくとも世界の歯車として在れたらいいなと、穏やかな心でいることができました。日常に戻り1週間経った今、感じることは、この世には刺激が多すぎるということです。人間に認識されやすいよう、欲を沸かせるよう、奇抜な色・大きな音・濃いめの味付け・人工的な香りが使われ、なんとも思っていなかった刺激に少々びっくりするようになりました。福厳寺の穏やかで優しい雰囲気を、すでに懐かしく思います。
一方で、修行プログラムの制限時間内に各作業を終わらせようと必死だったため、集中力や行動力が養われ、作業に対する好き嫌いが減り、とにかく体を動かそうとする意識が芽生えたように感じます。例えば掃除中、「汚いものには極力触りたくない」と思っていた自分が、ステイ後には良い意味で何も考えず、綺麗しようと集中できるようになりました。
またこれまでよりも、歩く・走るということを面倒に思わなくなったり、持久力がついたように思います。これを維持できるように、徒歩圏内は車移動を控えていこうと思います。禅寺に関する小説や映画を見てきたのも実は役に立ちました。音を立ててたくあんを食べると(たくあんに限らずですが)叱られるのは本当なんだと感動しました笑 これから参禅なされる方は、お寺ならではの決まりや習わしをぜひ楽しんでいただきたいと思います。
最後になりましたが、改めまして多くの皆さまに大変お世話になりました。行ってみて良かったと心から思います。ご縁をいただいた皆さまと再びお会いできることを楽しみにしております。
ますます寒くなりますが、どうぞご自愛くださいね。本当にありがとうございました。